MALLDESIGN(旧:仮称NEXT羽生プロジェクト)では、これからの羽生市の商店街を考えるために、現在、羽生市の商店街で商いをされている方や、かつて商いをしていた方へのインタビューを行い、記事として公開をします。
取材/編集/撮影:羽生第一高等学校 岩間(1年)、ワタナベ(1年)、安羅岡(1年)、武井(2年)、志村(2年)、東海林(2年)、西田(2年)、西谷(2年)、東口(2年)
※地域コミュニケーションプロジェクトとして羽生第一高等学校の生徒が取材・編集・撮影をしています。
取材場所:プラザ通り「中島商店」店舗内
今回は明治40年創業(創業113年)年に羽生市で創業され、現在も商売をされている自転車屋「中島商会」のオーナー 新さんを取材しました。
—当時の商店街や今との違い、お店の様子などを教えてください。
新さん(以下省略):例えば、そこにある葬儀屋のかねか苑プラザホールの場所には、今イオンの中に入っている上新電機の店がありました。この店の前には、カメラの大井さん、ちょっと今看板がまだ残ってるかな。市役所の傍ですか、あそこの方が入ってました。その隣の今は普通の民家になってますけど、山田屋菓子店ってお菓子屋さんですね。あとうちの隣は、山岸豆腐屋さんっていう、豆腐屋さんがありました。この辺の商店街っていうのが、羽生の町場村というのが昔あったんですけど、それは江戸時代の話で、町場村ってのは、六斎市(ろくさいいち)※1という市場が立つんですね。そこで、周りの農家さんたちがいろんな作物を持ち込んで、日曜市みたいな感じで、そこから商店街が始まったんですね。お店の様子は、戦前の自転車っていうのが普通の人の月給の1~2か月分なんです。今だと40~60万くらいですか。そのくらいの値段だったと聞いています。1台売れると、どんちゃん騒ぎができたくらいの(大きな)儲けだったそうです。
—昔は今より価値があって、一部の人しか買えないようなものだったんですか?
そうですねー。昔は背広着てね、ネクタイ締めて自転車を売りに行ったそうです。
—昔と今の自転車屋さんの違いとかありますか?
羽生に自転車屋さんが、最盛期で40軒ありました。現在は8軒です。
今の自転車がほとんど海外で安く製造されていて、修理をして長く乗るものじゃなくっている。ですから、壊れたら捨ててしまう人が多くなっているんじゃないかなぁ。
1万円ちょっとで買ったものを、今タイヤ1本交換するだけで4000円します。2本取り換えると8000円です。1万円で買って8000円で直しますかってことになっちゃうんです。5万円の自転車だったらね、8000円かけても修理しますよね、1万円の自転車に8000円の修理代で、どうしましょうってわけですね。
—新しい自転車を買ってくれるお客さんも中にはいるんですか?
中にはいますね。でも、専門店から買う人が減ってきてるんです。羽生で大体年間2000台売れてるといわれてます。そのうち専門店から買う人が2000台のうちの15%です。残りの85%は、専門店以外の簡単に言えばホームセンターとかですね。埼玉県は平らな土地ですから、日本の中でも自転車の使用率は高いんです。※2ただ、耐用年数、つまり、使っている年数が非常に短くなってきているんです。約3年くらいだと思うんです。3年で使い捨てということが多いんです。学生さんは最初にいいやつを買うから6年くらい乗ってくれますけどね。
お店としては、いい自転車を長く乗ってくれることを望んでるんですけどね。つまり、安い自転車だと修理してくれないから、いい自転車じゃないと困りますね。修理のきく自転車で、ある程度の年数を乗っていただくのをこちらとしては望んでいます。
—今お一人で商売されていて、困っていることとかありますか?
この頃お年寄りが増えましたから、自転車が壊れたからといってここに持ってくるってのも難しいんですよ。車が運転できるなら車に載せて来るんですけど、車に乗れないから自転車に乗ってるって人も多いですからね。そうするとどうしても修理しに来てくれってなっちゃうんですよね。そうするとシャッターを閉めて自分が行かなくてはならないことですね。
—まわりで商売をしてる方たちがお店を閉められている中で、それでも続けようと思ったのは、やっぱり人が来るのもそうなんですけど、何か理由があったんですか?
一つは年代ですよね。結局日本の人口構成ってのが大きいんですよね。この辺のお店を盛んにやっていた方が年寄りになってしまったのと、後継ぎがいないから閉めてしまう。新たに始めようとする人は少ないですね。あとは、息子さんたちはサラリーマンになってる人が多いですよね。後継ぎがいなくなれば、この商売は終わりになっちゃいますね。
—商店街に活気を戻すために大事だなって思うことはありますか?
まぁ、やっぱり人口じゃないですかね。人通りってことじゃないでしょうかねー。人口がない分には人通りがないですからねー。深谷は今渋沢栄一ブームで、渋沢栄一館ってのができるほど盛り上がってますよね。ほかにも、川越市が小江戸と呼ばれはじめてから川越の自転車屋では、昔の自転車部品を並べたり、あとは変わったベルを置いたりしてね、そうすると結構そういうのが売れたりするっていう話は聞きました。生き返って人通りが増えたから、活気が増えたんですね。
今でも羽生はお祭りをやってて、お祭り自体は江戸時代からずっとあったんだけれども、やっぱり近代化みたいな話になって戦後廃れてしまったんですね、お神輿もあったんだけど、当時もう担げなくなってしまって…壊れてしまったんですよね。神輿というのは毎年担ぐとどんどん壊れていってしまうんですね。だから5、60年に一度大修理をしなくてはいけないんですけどね、それもできなくなってしまって、ずっと神輿蔵にしまってたんですね。それをバブルの頃ですね、ふるさと創生事業で、各市町村にふるさと創生交付金を配布していた頃もあったんですよ。そういうものの流れみたいなもので、いわゆる町おこしってやつですね、この辺でも廃れてしまった祭りを復活させようとして、古い神輿を出してきて、最初は壊れたままで、プラザの前に飾っていたんですよ。そしたらもったいないから担げるようにしましょうって声があって、何とか修理してやっぱり1000万近くかかったんですよね、それでまたやるようになったんです。
—これから先、プロジェクトを通してどのような商店街にしてみたいなという希望はありますか?
若い方たちが集まって、今やってる人たちが考えないようなこと、新しい発想を持ってる人が、いろんなことをやっていただいて、商店街に人の賑わいができればいいなと思ってます。
今回『中島商店』さんを取材して三代で営業していて改めて伝統を感じることができました。また内装もとても綺麗で、新さんの目指す賑わいのある商店街を作るために自転車店を引き継いでみたい方、自転車について要件がある方はぜひ『中島商店』さんに訪れてみてください。
※1六斎市(ろくさいいち):月6行われる定期 https://ja.wikipedia.org/wiki/六斎日
※2参照:https://todo-ran.com/t/kiji/11525